※無断転載・及び無断商用利用は禁止です。 ■姉と弟と剣と剣外伝 剣と剣の縁■ アルメルユリス姉弟の子供時代の話です。 -------------------------------------------------  木の棒のぶつかる固く乾いた音が、稽古場に響いていた。  目の前には的である木の棒と、それを構える父さん。  僕は教えられたとおりに――少なくとも自分ではそのつもりで――剣代わりの木の棒を両の手で握り、振り上げては打ちつけた。  右から。左から。上から。また右から。  隣では、父母の弟子と姉さんが練習中で、威勢のいい掛け声が飛んでいた。  当時の父さんは、僕にはとても高い壁。  子供と大人なのだから当然だけど、力の差が歴然としていた。何を仕掛けたって軽く払われて、自分がよろけて床に転がる。  それでも負けじと振りかぶっては、相手の木の棒目がけて打ち下ろしていたけど、父さんは不意に腕を動かした。  僕の握っていた木の棒は、いともあっさり弾かれてしまう。棒は床に落ちて、からんと音が鳴った。  武器を奪われて呆然とする僕の上から、父さんは見下ろしてきた。 「ユリス、正面だけ気にしていたら隙だらけになるぞ」 「ごめんなさい」  萎縮した僕に、父さんは一つ息を吐き出した後で言った。 「これならアルメルに継がせたほうがいいかもしれないな。誰か腕の立つ奴を婿にして」  父さんにとってはさして重くないだろう一言が、当時の僕にとってどれほど衝撃的だったか。  父親をがっかりさせた無力感。  自分が家を追い出されるのではないかという屈辱。  姉さんと引き離される寂しさ。  だけど僕は子供だったから、父さんに言い返すだけの言葉は持っていなかった。それに、父親に反抗していいとも思っていなかったので、いくら悔しくても、その場では何も出来なかった。  休憩で皆が出ていく中、僕は最後まで稽古場に残って立ち尽くしていた。姉さんが、「何をやってるのよ」と呼びに来るまで。  その日の夜。父母が寝付く頃になってから、僕はこっそりベッドを抜け出した。  立てかけてあった父さんの剣をこっそり持ち出して。   普段練習用に使っていた木の棒ではなく、真剣を持ち出したのは、簡単に言えば見栄だ。僕だって出来るんだと、意地を張ってた。  秋の月明かりの下、僕は肌寒さを感じながら、家の裏で剣を鞘から抜いた。  大人用の剣だから、当然長くて重たい。振ろうとしても、子供の腕では思うようにいかなくて、体勢を崩しそうになる。  それでも何とか刃を振り上げては下ろすのを数回繰り返すと、重心が不安定なのと、足下の草が夜露に濡れていたせいで、その場で転んでしまった。    服を泥で汚しても、僕はよろよろと立ちあがって剣を拾った。  早く強くなるんだ。  早く大人になるんだ。  夜の闇の中、歯を食いしばって剣の柄を握りしめたとき―― 「ユリス、何やってるの」  背中から聞こえた声にどきりとした。 「姉さん?」  振り返ると、姉さんがいた。暗くて顔はあまり見えないが、機嫌は悪そうだった。 「あんたがベッドから出て、戻って来ないから探したのよ」  彼女は眠いのに起こさないで、と口に出す前で留まっているようだ。代わりにじっと剣を見ていた。剣の刃は、わずかな月の光を跳ね返していた。 「父さんの剣でしょ、それ。こんな夜にどうしたの」  どう答えたものか少し迷ってから、僕は言った。 「姉さん、笑わない?」 「笑わないわよ」 「……昼間に、父さんが言ってたこと。姉さんに継がせたほうがいいって」  今の自分なら、その場で親に文句を言うこともできただろう。だけど子供のときには、そんな余裕なんてなかった。言の葉を額面通りに受け取って、悲しむだけだった。 「気にしてたの?」  僕は肯定した。 「父さんは、僕が弱い子だって思ってるから……練習、しないと」  言われた時のことが思い出されて、喋るうちに涙ぐんでいた。  暗い夜の屋外で、一人で身の丈に合わない剣を握る僕を見てどう思ったか、 「とりあえず、父さんの剣はやめましょう。で、ちょっと待ってなさい」  言うなり姉さんは家に入って、練習用の木の棒を二本手にして戻って来た。 「練習するなら私もやるわ」 「でも……姉さん」  僕は返事に困った。  眠たい中起きてきた姉さんに、練習に付き合ってもらうのは気が引ける。  それに、僕は姉さんと比較されていた。彼女より強くならないと父さんは認めてくれないと思っていたから、一緒に練習するのは少し抵抗がある。  まごついていた僕に、姉さんは疑うように聞いてきた。 「あんたは将来、私の敵になるの?」 「違うよ!」  これには驚いて声を上げると、姉さんは表情を緩めたようだった。 「だったらいいじゃない。私も強い、ユリスも強い、文句ないでしょ」 「……うん」  姉さんの言葉には、理屈抜きに納得させるものがあったんだと思う。  僕は剣を置いて木の棒を受け取ると、習ったとおりに間合いを取って姉さんに向けて構えた。  夜だから周囲は暗かったけど、姉さんの緑色の目は猫のように光って見えたから、位置の把握は難しくなかった。  二人でへとへとになるまで打ち合って、泥で汚れたままベッドに潜った。  夜が明けると、二人揃って両親に怒られた。  ベッドと父さんの剣が泥で汚れていたから、僕と姉さんは問いただされて白状した。  父さんの剣を勝手に持ち出したこと。夜中に起き出したこと。寝具を汚したこと。  どれも怒られても仕方ないことだ。    ただその日以降、父さんは姉さんに継がせるほうがいいとは言わなくなった。   父さんも母さんに、言い過ぎだと叱られたらしい。 「こんなに負けん気が強いなら、放っといても自分で練習するわよね。きっと強くなるから、焦ることないわよ」  ……と、母さんは意気消沈していた僕を慰めてもくれた。散々怒った後だったけど。  昼間、台所の机で字の練習をしていると、 「あげる」  姉さんがやって来て、母さんからもらったというパンを半分僕にくれた。 「ありがとう」  僕はちょうど小腹が空いていた。手を拭いてパンを受け取ると、ちぎって口に入れる。  パンを食べつつ、机の正面の席に座った姉さんに、今朝の父さんのことを話した。彼は僕の機嫌を気にしてか、いくらか気まずそうにしていたけど。 「父さんが、釣りを教えてくれるって言ってた。魚が釣れたら、姉さんに半分あげる」 「ありがと、ユリス」  同じくパンをかじっていた姉さんは、微笑んだ。  □  ロロの町外れのラウラスの家。  窓の隙間から差し込む朝の陽の光がまぶしくて、僕は顔を上げた。  さっきから目は覚めていて、寝転がったままぼんやりと昔を思い出していた。父さんに言われたことを気にして、夜に剣を持ち出したときのことだ。  ……もう十年以上も前の。   「おはよう、姉さん」  僕が横で布にくるまっている姉さんの体を揺すると、 「ん……」  寝起きの悪いことに、何かをうめいただけだった。僕は姉さんの耳のそばに口を寄せて、悪ふざけのような口ぶりでささやいた。 「起きないと姉さんの体にいたずらするよ」 「……起きててもするでしょ、あんたは」  これにはさすがに姉さんも体を起こした。寝起きのぼさぼさな黒髪の下、呆れた顔を見せる。その後ぐいと伸びをすると、僕に向けて微笑んだ。 「おはよ、ユリス」 「おはよう。今日の朝食、姉さんの当番。昨日は僕だったから」 「分かってるわ」  姉さんはベッドを下りて手早く服を着ると、寝室を出て行った。  一人残った寝室で、僕は天井の梁を仰いだ。  この部屋は元々は親の寝室だ。もうずっと帰って来ないから、僕と姉さんが代わりに寝所にしている。  部屋の隅には、剣が二本立てかけてある。僕と姉さんの剣だ。  姉弟仲は、たぶん両親の望んだ方向には行かなかったけど。  剣を扱うのは姉弟共に上手くなったと、もし両親が帰って来ても、自信を持って言える。  (剣と剣の縁・了) ------------------------------------------------------- 制作者:asahiruyu(黒江イド) http://herbsfolles.blog103.fc2.com/ nekonekomarumaru@hotmail.co.jp